京大生の家に、おもちゃはある?どんな遊びをしていた?

今回は家庭環境について。私の実家は、とにかく物を置かない家でした。
生活必需品も最小限しか揃えず、当時の生活環境を思い出すと、「清貧」という言葉が思わず浮かんでくるような家でした。

それは、子供である私や兄弟にとって最高の遊びスペースでした。物がほとんどない広い部屋では、ありとあらゆる遊びができました。柔らかいボールで屋内ミニテニスをやったり、かるたやトランプを床一面に広げて遊んだり、寝る前には布団を並べてでんぐり返りや逆立ちの練習など、つねにゲラゲラ笑いながら盛り上がっていたのを覚えています。
一言で言えば、体をつかった遊びがメインでした。

学習机も、おしゃれば木製のユニット式などではなく、ほの白く塗装されたスチールの壁面と棚と机があるだけの、生協製のとてもチープな量産品でした。
そして、「おもちゃ」と呼べる物はほとんどありませんでした。りかちゃんやバービーも、ままごとセットも、プラレールも、トミカのミニカーもありませんでした。

ただ、無限に与えられる物もありました。それは、画用紙、クレヨン、色鉛筆、はさみやのり、セロテープ、空き箱、折り紙、絵の具など・・・つまり「工作道具」です。
それは、「誰かが遊び方を決めたおもちゃは存在しない」環境だったということです。

これらを使って、兄弟3人でいろいろな遊びをゼロから創造しました。誰かが面白い遊びを思いつくと、しばらくそれがブームになりました。もちろん、一回でおしまいになる遊びもたくさんありました。ちょうど、ベンチャービジネスの立ち上げのような感じです。

あるときは、3つ上の当時3年生くらいの姉がキャラクター遊びを思いつきました。「ジャンスカスカ」という架空のキャラクターの文房具セットを画用紙で作り始めました。姉は「ジャンスカスカ知らないの?月曜夜7:30からアニメやってるよ」などと、バズらせるための偽プロモーションも余念がなく(そんな番組はなかったのですが)、その様子の面白さに、私と一つ上の兄は、自分たちもジャンスカスカのキャラクターグッズを作りました。ノート、カレンダー、時間割表、メモ帳など。今思えばライセンス料を取らなかった姉はまだ甘いですね。

またある時は、戦闘機の操縦士ごっこが流行りました。何もない学習机に鉛筆や消しゴムなどを並べ、それらを操縦席のボタンやレバーに見立てて架空の宇宙戦争にイメージの世界で出陣するのです。複数人で同じストーリーの中、想像力のコラボレーションによってピンチをくぐり抜けながら戦う、非常に興奮する遊びでした。これは主に一つ上の兄と遊びました。ワープをしたり、敵の戦闘機にビームを打ち込んだり。周囲の大人が見たら、何をやっているのか何もわからなかったことでしょう。
この遊びはその後大人になってビジネスアイデアをチームで創造する時のよい練習になったように思います。

ある日、姉が新たな概念を遊びに持ち込んだ日のことは、実に鮮明に覚えています。「貨幣制度」です。突然「ようつお金というマネーが流通し始めました。子供部屋は洋室だったのですが、それをもじって「ようつ市」という自治体であるという設定でした。そこに流通するお金がようつお金。今でいう地域通貨でしょうか笑。
姉が「500」「1000」などと書いた小さな長方形の紙をたくさん手作りの財布に入れて、いきなり「お金持ち」になりました。それを見た兄と私もお金をたくさん書いて、財布もつくって同じく金持ちになろうとしました。誰もが一番お金持ちになりたくて、最終的に知っているなかで一番高額である「10000」と書いた紙を大量に作り始めました。しかし紙幣を書き続けるのはとてもとても面倒でした。それに、みんながたくさんお金を持つと、紙幣の値打ちが下がっていくだけで、ひたすら虚しくなってきました(インフレですね)。すると姉は「私が銀行になる。もうこれ以上お金はつくっちゃ駄目にする」と言いだしました。
次に兄は「当て物屋さん」を始めました。兄は番号を振った文房具を並べます。やってきた客はお金を払うとくじが引けて、番号に書いてある文房具をもらえるという店でした。何が当たるかわからないというルールが姉と私の射幸心を煽り大人気。これで兄はお金を書かずに稼いで得るうまい方法を見つけました。
私は客に文房具をあげてしまうのが嫌だったので、どうやってお金を得るべきかなかなか思いつかず、「タクシー屋さん」をすることにしました。背中に客を乗せて、指定した場所まで馬になって運び、やっとなけなしの運賃をもらうのでした。銀行員の姉はわがままに遠方まで自分を運ばせました。私はヘトヘトになるまで肉体を酷使して働きましたが、大したようつお金を得られませんでした。
一番有利なのはお金の制度をコントロールする人間、儲かるのはギャンブル、苦しいのは労働集約型のビジネスなのだと、あとから悟りました。

以上、ざっと思い出した遊びを書きました。
あまりにも夢中で楽しかったため、未だに鮮明に覚えています。とくに最後のお金を流通させる遊びは、その後社会の勉強をする時などに頻繁に思い返すことになりました。小学校低学年で、お金とはどういうものか、誰が一番得をして、誰が一番苦労するか、人が求めるサービスとは何か、競争がエスカレートすると何が起きるかなど、いろいろなことを遊びから実体験を通して学んだのでした。

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